2005年、宮城で起きた悲惨。
松山の幼児殺害、飲酒運転による高校生の死亡事故、アーケード街に暴走車2件、幼児連れ去り、耐震偽装の二人、よく続くものです。一年間怒りと悲しみで喪に付す気分でした、私のジョークや馬鹿話の雑談は控えていましたが 出て来ましたね嬉しい話題 “宮城発 トリノ 荒川選手 金メダル”おめでとうございます、頂きました我が心に星三つ。で 怒りを込めて馬鹿な話を復活。
「らしさ」 らしいということ
【神は何処にいるの? 神は貴方の中に、 そうでなければ神は何処にもいない。】
神仏とは古来より先人達から引き継いだ精神文化だと思っています、敬うことで心の均衡を保ち、決して 餓鬼畜生道に落ちない歯止めとす。神だ仏だ地獄だ等と見えざるものを利用し利益や権力を得ている カルトやイカサマ占いの輩、来世だ先祖だ霊だと、そんなもん何処にいる 見えるものならお金を出しても見てみたい。神のそばへとか、神の啓示を受けた、や あげく 我は神である、?
なにをか言わんや片腹痛い、人間の分際で思い上がりも甚だしい、(神がいればの話だが)人が人らしく、人間らしくで何が悪い、神を引き合いに争いの大義名分にするとはそれを冒涜といわず何という。 人間らしく、女らしく、男らしく、大人の尊厳、純真な子供の心、共に らしいということは心を豊かにさせ、男が求める女、女が求める男、女らしさ、男らしさに欠けたら共に恋愛感情や結婚願望がめばえにくく、スキンシップの欠落、しいては少子化の一要因(次世代の担い手は誕生するか)と思うのは杞憂であろうか。差別や区別、ジェンダーフリーにユニセックス等、果ては動物愛護まで、行き過ぎは基本的な価値の軌道を逸しつつあるように思います。虫が犬や猫に、猿が人になりたい等と思ったら(猿の惑星でもあるまいに)愛玩動物でも気持ち悪い。生きとし生きる全てのなかで人類が地球に存在する限り地球の荒廃は止まらないであろう、賢さと愚かさが表裏する生物 それが人間である。
【神はどうして悪いことをした人を罰しないのか?
そんなことをしたらこの世に人は1人もいなくなってしまうから】。
さてそこで珈琲“ 珈琲らしさ”とは如何な味か。
お国柄の嗜好の違いが顕著あらわれる飲料、世界の料理を食する日本、付随する珈琲の飲み方 楽しみ方の違いは如何様であろうか。
@ まず早くから知られた『アメリカンタイプ』、アメリカの主婦達が同量の粉でマグカップ(150cc〜180cc)の量を淹れる為必然的に薄味になる、決して薄味がアメリカンではないのです。
A デミタスカップで楽しむ欧州タイプ『フレンチやイタリアン』、わが国でも定着した感がある エスプレッソ珈琲が代表です、深入りした豆をファイングラインド(極細挽き)にしてマシン(強い圧とスチーム)で素早く抽出する。エスプレッソ珈琲は一メニューと言うよりはバリエーション珈琲を作るマシンと言えるでしょう、泡立てたミルクやクリーム、チョコレートやキャラメル等(マグ使用)も容易に加えられます。
B 日本で好まれた味が『レギュラータイプ』、焙煎はシナモンロースト〜シティロースト 酸味と苦味が程よく、香味豊かな味は繊細な味覚の食文化を持つ日本人に受け入れられたのでしょう。
C 珍しい抽出方、『トルコ式珈琲』(ターキッシュやイブリックとも言う)、器に直接粉を入れ直火で煮出す、カップに注ぎ上澄み液をすするように飲む、場合によって砂糖や香辛料、レモンや蜂蜜等を加えたりもする。 一昔ウエスタンムービー(西部劇)を見た人はお解かりでしょう、カウボーイが焚き火で珈琲を沸かしポットから直接カップに注いで飲む、納得?
D 珈琲産地の農園で見られた光景、珈琲豆を粗糖と一緒に深入り焙煎し 砕いてマタイ(南京袋)に詰めそれを水瓶に浸し 液が抽出したらカップですくって飲む、これは一説によると水出し珈琲が発案された一要因と言われてますが、はたして。
E ついでに余談、インドのとある地方、嫁入り前の女性の儀式。嫁ぐ女性は自分で珈琲を焙煎抽出し親族一同に振舞わねばならない、全員合格のお墨付きが出ないと嫁げないという仕来り、所変わればこれも文化でしょうか。それからお猿さんのお尻から出た珈琲豆の話題 しかしこの【ウンチク】話はいただけません、諸説はまたの機会に。
さて 日本人の味覚に合う珈琲らしい珈琲とは。
ジャンクフードが蔓延し質より量を重んじる味覚障害としか思えない国の珈琲、オリーブオイル、クリームやチーズが主食の国の活性炭の如き珈琲、何れも決して否定するものではありません、食文化が違えば欲する味もいろいろですしそれなりの理由もあるのです。日本の質の良い豊富な水に感謝し素材の良し悪しを嗅ぎ分ける繊細な味覚を失わないようにしたいものです。西暦1804年『カウヒイ 焦げ臭くして味ふるに堪えず』日本の珈琲文化の始まりです、幸か不幸か輸入自由化以来 一級品から粗悪品まで市場を賑わしています、だからこそ自分の味覚を研ぎ澄まし自分の嗜好に合う珈琲らしい珈琲を探し味わっていただきたい。
お後がよろしいようで。